塩澤寺    真言宗智山派    
平成弐拾四年壱月五日更新 
お知らせ
  • 本年の大祭は、例年通り2月13日14日に行われました。
  • 駐車場は、山門の左横になります。
  • 平成十七年は、開基千五十年にあたりました。
        
  • 開創千二百年記念特別新檀家募集中。

当山は開創以来千二百年の歴史があります。

平成二十年は、開創千二百年にあたります。

平成十七年は開基千五十年にあたります。


開創 弘法大師空海上人

 大同三年(808)年、真言宗の祖 弘法大師空海上人が諸国を衆生救済の行脚ををされたおり、当地にて厄除地蔵菩薩の霊験を感ぜられ、大師自らが、6寸あまりの坐像(現在は秘仏であって、公開は一切しない)を彫刻され、その尊像をご開眼されたのが、当山の始まり(開創)です。

以来、救いを求める老若男女が参拝いたしました。

開基 空也上人

天暦9(955)年、空也上人(踊念仏の高僧)が、全国遊行の途中、その素晴らしい霊験著しきに6尺有余の開扉仏(公開されていつでも参できる仏)を彫刻安置し、それより福田山 塩澤寺(開基)といいます。

更に、大覚禅師(鎌倉  臨済宗建長寺派の祖で中国宋の出身の人)も霊験に驚嘆したといわれいいます。                                                         
  時代は下って、徳川家光の治世の1643年、湯村には、京都から良純親王(京都 知恩院初代門跡)が幽閉されて、その住まいがありました。良純親王は、御陽成天皇の第八皇子です。天皇の怒りに触れて、都を追われて甲斐の国に流されたのです。その当時の湯村は、「湯島村」と呼ばれていた湯村は(湯ノ島、湯志麻とも伝わっています)、「島」という字があると島流しのようであるから、良純親王を気遣って「島」をとって、「湯村」に改名したといわれています。良純親王は、信仰深く、地蔵尊を拝して、祭りをさかんにするなど、当山の興隆に関わったといわれています。都への帰還を祈っていた良純親王は、甲府下積翠寺町の興因寺、西八代郡三珠町の薬王寺と移り住んだ後、晩年、その願いかなって、都に戻ることができました。

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